職人の柔と脱力の話

なんかねー、タイトルが大袈裟すぎ?なんですよ。

先月、年一度の町会麻雀大会があってその時に手打ち蕎麦の弟子と会って話をしたんです。まあね、彼も8年以上のキャリアがあって今年の蕎麦は水回しの水分量が増えたとか蕎麦打ちの部屋環境は室温15度で打ってるとかね。
話が進んで行く内に蕎麦切りで「麺の太さにばらつきが出る時がある」と言うんです。

もうほとんど教えることが無いはずの弟子が一番最後の簡単な所でうまく行って無い?
これは本人の努力とかではなくて、教える側の私に問題があったんじゃ無いんでしょうか?

工程を簡単に言うと、麺になる生地を伸ばして、生地をたたんで、蕎麦包丁で切って行くと言う単純作業なんです。本当は機械で切れば綺麗に切れて良いんでしょうけどね。
人の手で作ることに価値観を置いているので、やっぱり最後まで手作りですね。

蕎麦の麺を手打ちで作るって言うのは料理というより大工さんが木材にカンナやノミを使うといった事に近いんです。

熟練さんが見習いの人に腰が入ってないとかね、肩に力が入ってるとかね、、、
「訳の分からない事言って怒鳴ったりして」と思うんですよ。
これって教える側に問題ありだと私は思ってます。
結局、教える側に力量が無いんです。もしかして意地悪な人。
凄い技術を持った職人さんでも教えるのが下手だったりするんですよー
もしかして、利害関係もあったりするんでしょうか?まさかね。


「しなやか」という言葉があるんですが弾力性があって柔軟性に富んでいる、肉体に使うこともあるんですが、心にも使いますよね。
私のイメージでは柔の姿の中に剛が潜んでいる感じなんです。
私は60歳ですが私の中に「しなやか」があるでしょうか?
はっきり言って「ほとんど無い」というのが答えです。

職人さんの話から逸れたみたいですが、実は蕎麦切りなどで手元が狂うのは肩や腕の筋肉の脱力がうまく出来ないのが原因なんです。じゃあ脱力ってなんですか?という話なんですが、、、簡単にいうと体のバランスが取れていることなんです。
「バランスよく上手に立って下さい」って言われたら多分困る人の方が多いと思うんですが、まず背筋を真っ直ぐにして両膝を軽く曲げて楽な状態になるような位に足を広げます。そして両足の裏だけに意識を集中させます。両足の拇指球(親指の付け根)に均等に体重が乗るようにすると柔のバランスが取れた状態になります。

この状態で蕎麦切りとか台所で野菜を包丁で切ったりとかの作業をする時、右利きの人は左足をちょっと前に出して、体もちょっとだけ前かがみになるんですが心配はいりません。その分だけお尻が下がります。ここでも背筋は真っ直ぐな状態でなければ脱力は難しいです。ここまでうまく出来たら体の力を思いっきり抜きます。そして手の先だけに精神を集中させて動かすと脱力状態を保つことが出来ます。

ここであることに気が付いた人は凄い人だと思います。
この背筋を伸ばして拇指球拇指球に体重移動しながら脱力した状態で歩くとトップモデルさんと同じ歩き方になるんです。

柔と脱力が密接な関係があるのと背筋を伸ばすことと2つの拇指球は静止と移動、、、
「しなやか」をイメージで作る、、、

これらの事は意識して集中させ訓練しなければ到達出来ないんです!?

まあ、一応締めという事で、

「柔とは精神のことである」

なんかねー、年取ってくると、背骨が曲がちゃうなんて考えたく無いんです。
この後の人生で背骨が曲がらないように気をつけよう、、、


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